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藤原道長はどんな性格だったのか? 紫式部が日記に描いたプライベート&歴史物語に描かれたさまざまな「素顔」

日本史あやしい話44

 

■几帳面で感激屋で乱暴で…

 

 例えば、『御堂関白日記』を見てみよう。そこに記されているのは、「誰それから馬や牛を何疋もらった」とか、「今日は物忌みだから外出を控えよう」あるいは「変な夢を見たから予定を取りやめた」などなど、些細なことを、実に事細かに書き留めている。そこから見えてくるのは、彼が極めて几帳面で且つ神経質な人物だったという点である。

 

 また、『紫式部日記』などを見ると、紫式部の部屋の間仕切りにさりげなく花を一輪差し入れたり、初孫におしっこを引っ掛けられても嬉々として慈しみ、天皇の道長邸への行幸に感激のあまり涙し、たびたび娘・彰子の元に参上しては、行きあう女房たちに無邪気に冗談を飛ばす等々、こちらは感激屋で天真爛漫。しかもお茶目とも思えるような人柄がにじみ出ている。

 

 そうかと思いきや、ライバルともいうべき甥の伊周とは、つかみ合いにもなりかねないほど激しく口論したこともある。左大臣だった頃には、祭に参加していた散楽人たちが気に食わぬとして、散々痛めつけたという乱暴な面もあった。

 

 以上のことから鑑みれば、道長は、豪胆というばかりか、繊細で神経質。且つ、無邪気で天真爛漫でもあり、時には激情に駆られて乱暴を働くような人柄であった。もちろん、御曹司が陥りやすい、上から目線の傲慢さも、少なからず持ちあわせてしまったようである。

 

 また、後半生には、娘たちを次々と入内させることにも躍起になった。その実現のために、虎視眈々と計略を練っていたことも疑いないことである。計略家としての一面も当然、持ち合わせていたはずだ。

 

 となると、彼の不思議な性格が浮かび上がってくる。豪放磊落と言われる一方で、正反対とも思えるような繊細さをも兼ね備えていたことになる。そればかりか、天真爛漫と思いきや、思いの外の計略家。さらには、孫を慈しむかと思いきや、乱暴で冷酷な一面もあった。無邪気でありながらも実は老獪だったというように、さまざまな点において二面性を併せ持った複雑な性格の持ち主だったのである。

 

画像:国立国会図書館デジタルコレクション 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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